<エッセイについて>
エッセイ(随筆)は小説と異なり、起承転結や形式にとらわれず、意の趣くままに書くことが出来る。
まさにこのサイトに相応しいコーナーとも言える。
そんな手軽さもあって、芸能人や有名人のエッセイや自叙伝も多く出版されており、結構話題を呼ぶ作品もある。(最近では島田洋七の「がばいばーちゃん」などがその筆頭である。)
それを見てあの程度のエッセイなら自分にも書けると思ってしまうのは私だけではないようだ。
芸能人やタレントの中にはゴーストライターに作文を委ねて出版する人もいるようだが、少なくともネタ元は本人が提供しているものと思う。
いずれ作家とは根本的に違うのだから、その文体は稚拙なものが少なくない。
それでも、一般市民というのは、有名著名人や時の人のプライベートな部分を知りたがるものだ。
あの人はどんな生い立ちで、普段どんな生活をしていて、どんな考え方をするのか興味がある。
だから、文章が稚拙だろうが、内容が陳腐だろうが人々は関心を示すのだ。
それに対して、無名の人間が自分をテーマにエッセイを書いたところで誰も関心を持つ筈もない。
従って一般人が書いたエッセイが他人の興味を引くのはかなり難しいといえる。
よほどインパクトのある話題、旬の話題、誰もが持っている関心事であるなどの必要がある。
しかし個人ホームページのエッセイなんて日記の延長の様なもの。ほとんど独り言のようなものだ。
他人に受けようとか共感して欲しいとか初めから期待して書いているわけではない。
(他人の評価や意見交換をしたければブログにすれば良い。)
話は変わるが、例えば私が道ばた倒れている病人を病院に担ぎ込み、人助けをしても、相手家族に「有難うございました。」と一言礼を言われて終わってしまうが、木村拓也(キムタク)が同じ事をしたら、きっと翌日のワイドショーやスポーツ新聞の芸能欄ではトップ記事になるだろう。
これが有名と言うことだ。
全ての世界に共通する事だが、小説も芸術性や文学的に優れていれば売れるとは限らない。が、一旦大きな賞を受賞するとその後の作品は何でも売れるようになる。
(最近は若い人の直木賞受賞者が多く、その後作品を乱発しているのが目立つ。)
映画や絵画、音楽など芸術に関する世界全てに共通した現象といえる。
悔しかったら有名になるしかない。
と言われても今更私のような凡人が犯罪以外で有名になるのは容易ではないし、そんな能力は初めから持ち合わせていないことは本人が一番良く知っている。
負け惜しみではないが、有名人にはそれなりの苦労があるようだ。
少しのんびりしているとすぐに世間から忘れ去られるし、有名すぎると世間の目が気になり、日常の行動が制約され、自由が奪われる。
どちらを選ぶか個人の自由だが、私は無名で貧しくても自由に過ごすせる人生も悪くはない気がする。
無名で裕福が一番理想かも知れない。
弾 塊人(Web Name)